スターン訴訟の原告弁護士ボルトンは裁判の準備中に、豊胸材が安全でないことをダウ・コーニングが知っていたことを示唆する社内文書を発見したが、スターン訴訟の陪審評決のあとに文書は封印された。ボルトンはアンダーソンを議長とする1988年のFDA諮問委員会で証言をした。それから事態は急速に動き始めた。よいタイミングで舞台に登場した少数の人々が主な推進力となった。一人は、サンフランシスコの若い原告側弁護士、ダン・ボルトン(DanBolton)で、スターン訴訟は彼の所属する法律事務所が指揮した。当時ボルトンはヘイスティングズの法学部を卒業したばかりで、裁判の準備をしている時に、所属の法律事務所(ハーシュ&ハーシュ)からミシガン州、ミッドランドにあるダウ・コーニングの工場に送り込まれた。何か役に立つ手がかりが見つかるか調べるためだった(開示と呼ばれる法的手続き)。工場で彼はたくさんの内部文書を発見した。ボルトンによると、豊胸材が安全てないことを会社が知っていたことを示唆する文書だった。スターン訴訟で陪審の評決の後に和解が成立し、和解の条件に、文書の封印すなわち文書の公表を禁ずる内容も含まれていた。のちになって、これらの秘密文書は重要視されることになる。それについては私も再度言及するつもりだ。影響力のあったもう一人の役者はジョン・ホプキンズ大学医学部の内科と外科の助教授、ノーマン・アンダーソン(Dr.NormanAnderson)だった。アンダーソンは、メーカーにどのような安全データを提出させるべきかを諮問するために招集された1988年のFDA諮問委員会の議長だったが、彼は豊胸材は危険だと早い時期に確信をもつようになったようだ。たぶん、1988年のその委員会で証言をしたボルトンにいくらか影響を受けたのだろう。豊胸材論争が加熱化するにつれ、アンダーソンはどこにでも姿を見せた。
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