当時の江戸っ子は行灯の灯をひとつ使うのにも、お金がかかった。そんななかで、吉原は光を数多くぜいたくに使ったイベントで、非日常の夢の世界を人々に見せることができた。逆に、今の世の中では「影」や「闇」が非日常を演出する。照明の専門家の間で、バイブルとして必ず名前が挙がるのが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』。このなかで谷崎は、光は影があってこそ、その魅力が生きてくると、訴えている。光のあふれる現代で真の闇を体験するのは、なかなか難しい。しかし、ときには自分の身を闇や薄暗がりに置いてみれば、逆に光の魅力に気づいたり、新たな発見ができたりする。例えば、ジェームズ・タレルというアーティストをご存じだろうか。1943年のアメリカ生まれで光そのものを作品にしている現代芸術家だ。人間の知覚に訴える光の作品を多く発表している。日本中で、彼の作品を観られる場所も多い。ちなみに、わたしが訪問したのは、香川県直島にある、南寺という寺院を使った作品。明治時代までは寺だった場所に、建築家の安藤忠雄氏が建物を設計し、内部はジェームズ・タレルのインスタレーション作品(場所や空間全体を作品として体験させる芸術)の「バックサイド・オブ・ザームーン」が展示されている。外側は、何の変哲もない木製の建物。しかし、入り口に入ると真っ暗。数分経ち目が慣れてくると、薄暗がりのなかに光るものを見つける。それをひとつの合図にそこに近づくというものだ。実際に入った直後は、真っ暗な部屋に戸惑う。現代では、闇といっても大抵どこかに光があるので、本当の闇を体験することがなかなかない。ここでは、自分にのしかかってくる闇の重みに耐えながら、しばらくジッと待たなければならない。ほどなく、目の前にうっすらと光るスクリーンが出現する。それを合図に前へ踏み出すのだが、自分が自分でないような不思議な感覚を覚える。まるで宇宙に放り出されたように、浮いているような感覚で闇をかきわけ、前に進むのだ。光るスクリーンの正体は、薄く照らされた小部屋。壁が大きなスクリーンサイズに切り抜かれ、その先に、坪庭のような小部屋がポツンとある。そこにうっすらと光が差し込んでいるのだが、あまりにも控えめな光なので、目が闇に慣れないとその光もわからないくらいだ。しかし、そこにいると、雲に隠れた月明かりの原っぱは、こんな場所ではないかと思えてくるのだ。あたりは見えるか見えないかのグレーの世界。すべてが幻想的に浮かび上がって見える。眠っていた体中のすべての感覚が呼び起こされ、とぎすまされてくるのを感じられるのだ。この場所から外へ出てくると、異次元空間から舞い戻ってきたような不思議な気分になる。同時に、現実の光の明るさが体の隅々まで染み渡ってくるのを実感できるのだ。ジェームズ・タレルの作品では、新潟県十日町市にある「光の館」も有名だ。これは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に着想を得て制作された作品。空の光の色が刻々と変わる様子や天井の色の変化などを体験できる。石川県金沢市の金沢21世紀美術館、熊本県熊本市の熊本市現代美術館など、各所でタレルの作品を体験することもできるので、機会があれば、ぜひ訪れてみてほしい。非日常の体験とともに、体中の感覚を呼び覚まし、発想力を高める助けになってくれそうだ。