アーカイブ

パリには美しい女たちがいる

ミラノに住み始めた頃、ひどく落ち込んだ日々を送っていた。夫の転勤について日本を出ることはひとつの転機だと納得して来たはずなのに、毎日苦い後悔ばかりしていた。まだまだやりたいことのたくさんあった仕事をやめ、ある日突然まったく違う環境に投げ出されて、そのあまりの激しい変化と落差に、自分の拠って立つところを見失いそうになっていたのだった。一日に何十本もの電話をかけ、はりきって取材に出かけ、忙しく立ち働く雑誌編集者という仕事はなによりも私に合っていた。十四歳の時に決めた希望どおりのこの仕事を失った時、自分が何者でもなくなってしまったことに気づいて愕然とした。ミラノでは誰も私の名前を呼んでくれない。私はただ「○○サンの奥さん」でしかなかった。やり場のない怒りと、時には立っていられなくなるほどの喪失感に打ちのめされて、カランとした石造りの部屋で一日中誰と口をきくこともなく、悄然として過ごしていた。何か月かに一度、週末を利用してパリに行った。パリには美しい女たちがいた。生粋のパリの女たち。その白く華奢な細い顎、ヒュイと両端の上がった薄い唇、いかにも甘い骨細の体つき。側に寄るとその全身から発散されるコケットリーに自分がなんともいえず無骨な女になったような気がしたが、それでも彼女たちから目が離せなかった。そしてそんなパリ女たちが年をとった時の、凄惨とまでいえるほどの姿にも興味を惹かれるのだった。ホテル・リッツやラデュレといったサロン・ド・テに集い、震える手に持ったティーカップをカタカタと鳴らし、しゃがれた声で果てしなくお喋りする老女たち。厚く塗り込めた白粉の奥の肌が、隠そうとしても隠しきれない老醜に、熟して腐っていく果実のごとく崩れ落ちる。最後まで、執拗なまでに女であろうとするその姿は、一種退廃的な美すら感じさせ、日本では見たことのなかった「女」というものの迫力に改めて驚かされた。