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着物にはデザイナー・システムが存在していない

着物にはデザイナー・システムが存在していないからだ。友禅や紬は製品のクオリティと類別の名称であっても個々のデザイナーの名前ではない。だからそれは、ラグジュアリーな高級品であるにもかかわらずブランド品ではないのである。ということはつまりブランドとは名の価値体系なのだ。バリューはネームから生じる。シャネルのデザインしたイミテーションジュエリーは、貴金属でもないのに高価な値段がつく。なぜか?それはシャネルだからだ。先に引いた堺屋太一のブランド論は、このネームバリュー現象について、拳銃と刀の比較例をあげながら次のように語っている。「フォードが自動車部門で成立させた流れ作業の生産システムを拳銃生産の部門に適用して成功させたのが、米国の拳銃製作業者サミュエル・コルトだった。大量生産の規格品であるから、当然、製品には製作者の名前がついていない。ところが日本の刀には製作者の名前がついているものがある。

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西部劇には拳銃使いの名手はたくさん出てくるが、「名拳銃」というのは出てこない。刀であれば刀匠が一本ずつ製造するから、虎徹とか正宗とか、作者の名を付けた名刀がある。西洋でも名剣、秘剣にまつわる説話は少なくない。ところが、西部劇に名拳銃は出てこない。規格大量生産で、多くの人々が生産工程に関わってまったく同じものを多数造っていたから、とり立てて名品というのはなかったのだ(『ブランド大繁盛』)。わたしたちの問題意識にそって言えば、虎徹や正宗はブランドなのである。作者の名が、その価値をつくっているからだ。クラフトマンシップによる高品質はブランドの必要条件の一つネームだが、十分条件は固有名なのである。ただし、その固有名は人名でないケースもある。たいていの場合は「地名」であることが多い。たとえば西陣織や大島紬は、西陣や大島という産地名が価値を形成している。この意味でいうなら、産地という固有名もまた広義のブランドというべきかもしれない。わかりやすい例がワインだろう。ボルドーやブルゴーニュはワインの産地名だが、ワインの高品質をしめす指標として使われている。これもまた広義のブランドといってもまちがいではないだろう。日本なら「関」の刃物、ドイツなら「ゾーリンゲン」の刃物なども同様である。ちなみに、これらの産地名もまた、偽物を生みだす。「本物の大島」といつわって偽の反物を売りつけたりする商法は、いつの世にも後を絶たない。というより、人名であれ産地名であれ、偽物がでまわるものはブランドの証明というべきだろうか。まことに偽物は本物を価値化するのである。